浄土真宗本願寺派 本願寺名古屋別院(西別院)
本願寺名古屋別院
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名古屋別院沿革
 名古屋別院は、蓮如上人の13番目のお子様、蓮淳師が伊勢の国桑名郡長島杉江に創立された「願証寺」を起源といたします。桑名の長島というところは、木曽三川(木曽川・揖斐川・長良川)が交わり、伊勢・尾張交通の要所であり、真宗繁昌の中心でありました。70年ほど、この地で教化を行ってまいりましたが、第十一代顕如上人のとき、石山合戦(1570〜1580)のあおりを受けて、織田信長からの攻撃を受け、この地を離れることになりました。これが世に言う「長島の一向一揆」といわれるものであります。その後、豊臣秀吉の時代になりますと、尾張の国春日井郡清洲に願証寺を再興、長島願証寺も桑名に移転し、桑名願証寺と称しました。清洲の願証寺は以後通所、分院となります。そして徳川時代になりますと、尾張徳川の初代藩主・徳川義直(よしなお)の時代、名古屋城築城とともに名古屋城下の南寺町、現在の門前町に移転し、名古屋願証寺といたしました。その後、桑名の願証寺が、真宗高田派へ転派をしたため、第十四代寂如上人の時、正式に名古屋願証寺を本山の坊舎と定められ、「名古屋御坊」と称するようになりました。その後は、尾張徳川第三代藩主・徳川綱誠(つななり)の側室梅昌院の庇護を受けて、1792(寛政4)年に、十七間四面の本堂を建立するに至りました。その後、1876(明治9)年、名古屋御坊と称していたものを「本願寺名古屋別院」と改称し、境内地も整備され全国でも有数の別院として発展してまいりました。しかし、第二次世界大戦の末期、1945(昭和20)年5月17日に空襲に遭い、鐘楼・南門を残し全ての建物が焼失いたしました。その後、20年間仮本堂でなどで寺院の活動を行ってまいりましたが、別院のご門徒はじめ、愛知県・三重県の寺院・門信徒の尊い懇念により、1972(昭和47)年4月に現在の本堂が完成いたしました。その後、1986(昭和61)年には幼稚園園舎と職員住宅の複合ビルが完成し現在に至っています。
 2002(平成14)年の改修工事は本堂荘厳だけにとどまらず、エレベーターを設置するなど、バリアフリー化工事、本堂イス席化など、時代のニーズに応じた寺院をめざしています。また、名古屋別院は、お参りなどの法務に加え、愛知県・三重県の一般寺院を統括する東海教務所としての機能、さらには西別院幼稚園の運営や児童養護施設の管理等福祉活動にも取り組んでいます。
 中京都市圏において、浄土真宗本願寺派の中心道場・教化の中心として存在しております。

本願寺名古屋別院(西別院) TEL (052)321-0028

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